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昔、夜な夜な観音寺より西の海面に不思議な光を発するものがあり、漁
師達は恐れて、漁に出なくなってしまった。 観音寺住職の弘法大師に助
けをもとめた。大師は付近の海をお調べになり不思議な光の正体をつき
とめた。その木は大変珍しく、その木を引き揚げ、薬師像を造られた。以
来、この島を『異木島』と呼ぶようになった。(観音寺神念院 弘化録)
もう一つのはなし。島の西浦の沖合いの海底から、昔も今も、ブクブクと
気泡が湧いています。エビ漕ぎをしていて、見た人もいます。『気噴島』
からきたと言う人もいます。島の系図には『井富貴嶋』とも書かれていま
す。第2話の話と関係がありそうです。
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弘法大師が7代目の観音寺住職であったころ、吉備の
国(岡山県)から観音寺へ船でお帰りになる時、時化
で、船を北浦に着けられた。山背(やまじ)の風が吹いて
いたのでしょう。「この島には、霊験あらたかな、お不動
さんがまつられている。一度お参りしておこう。」と申さ
れ、参詣になりました。その時、お供えする水をお弟子
さんに言いつけ探させましたが、ありませんでした。そこ
で、大師はお経を唱えられ、その辺を探索して、杖の先
で掘られました。すると、コンコンと清水が湧き出まし
た。何百年も水が枯れなかったといいます。今は崖崩れ
で半ば埋まってます。今も『水の下』という地名がありま
す。
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昔、合田氏と三好氏との間で戦いがあり、合田館のあった城の内付近
は激戦地で、双方の将兵が多数死傷した。戦いの終わった後、のちの世
まで、城の内付近の畑でとれる、高黍(たかきび)の茎のほとんどが、真
っ白い中に血のにじんだような、赤い斑点がついており、これは、合田さ
んと三好さんの戦いをした、血の残りだと言われていた。
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北浦に合戸の穴(ゴウトウのアナ)と呼ばれる洞窟がある。戦時中は、
油、火薬の保管庫として利用されていた。島の人は強盗が住んでいた洞
窟と言う人もいるが、内部はかなり広い。昔、エビ漕ぎをしていた時、合
戸の穴の前で錆刀が上がってきたと言う。沖を通る船を襲い、積荷、身
の回り品を横取りし、値打ちのない刀等は海に捨てていたかもしれない。
海賊が一時的に住んでいたことは考えられる。昔は強盗のことを、ガンド
ウと言い、ゴウトウとは言わなかったのではないかと、思うのだが。
もう一つの話は、合戸の穴の奥には、縦穴があり、その出口が山の神さ
んの所で、昔、御宝塔があったので、ゴホウトウのアナといわれると言う
話がある。縦穴は確認されてないが、おもしろい話である。
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伊吹島で一番高い所にあるのが鉄砲石です。天正の昔、三好義兼とい
う、武将が追詰められ、自刃した所です。その鉄砲石の近くの畑の持主
が、寝ていると夢で枕上にたち、「我は、東讃のどこそこの、白井というも
のである。無残にも畑に眠っているが、お祀りをしてくれ。」と言って夢が
消えた。何日も妙な夢を見るので、家の人が、畑を掘ると、体の大きな人
で、武具も朽ち、足の脛の長い骨が出てきました。家の人は、丁重に、
畑のふちに、石組をして、そのお侍さんをお祀りしました。そうすると、そ
のお侍さんも安心したのか、夢にも出なくなりました。今もその石組みが
残っています。天正の昔、鉄砲石で自刃した義兼と共に倒れたお侍の一
人では、ないかと思います。
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伊吹島より西に大股島 小股島があります。いずれも、
伊吹町に属します。今は、無人島になってますが、漁の
時など、仮泊することがありました。大股島はお地蔵さ
んが寝ている姿に見えます。波静かな瀬戸内海、夕日
が沈む頃、空も海も赤く染まります。お地蔵さんの島が
きれいです。ゆったりとした、時間が過ぎて行きます。股
島にある、明神さんの話です。
昔から、股の明神さんの竹薮の竹を切ると、祟りがあ
り、手足がしびれたり、腹が痛くなったり、するといわれ
ています。こくばかき(松葉を取りに行く)に行っても決し
て、明神さんの薮には入らなかったそうです。誤って明
神さんの薮に入り、手足がしびれたり、腹が痛くなった
時は、洗米とお神酒を持っておことわりに行くと治ったそ
うです。明神さんの磯の小石を網の沈子(いわ 網のおも
り)にしたが、網が海底に引っ掛ったり 不漁続きで、小
石を返しに行ったら、鰯がよくとれた話もあります。
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股島と同じように伊吹町に属する無人島です。伊吹島
から北西の方向にあり、半円形のきれいな島です。天
然記念物の菊花石があります。この島には、浦島伝説
に関係したところもあります。穴口と言う地名があります
が、そこが竜宮城へ続いているとのことです。
昔から、円上島では、「じゃん、ばばん。」(おじいさん、
おばあさん)と言うなと言われている。言うと魔のものに
やられてしまう。なぜ、「じゃん、ばばん。」か不明である
が、言ってはいけないそうである。漁で、円上島に仮泊
する時も[苫をふけ。」と言われている。(苫は魔除けにな
る)
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昔、洲鼻の村浜に山伏の死体が流れ着いた。島の人は、お墓をつくり、
手厚く葬って差上げた。それからは、雨の日や、霧がかかった時は、洲
鼻から、「ボォー、ボォー。」とほら貝の音が聞こえて来るようになった。海
上で漁をしている船で、聞いたり、黒埼の畑で農作業している女の人達
にも聞こえた。海上も、陸上も「山伏さんのほら貝が聞こえたから、早く帰
ろう。」と身支度をした。皆が、港や、家に帰ったあと、必ず、天気が悪く
なり、海が荒れた。天気が悪くなることを、教えてくれるほら貝の音であ
る。
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天正の昔、合田さんと三好さんの戦いがあったことは、何回も話してい
ますが、義兼が鉄砲石で自刃した後、戦いすんで日が暮れて、一時、身
をひそめていた、三好館にいた子女は、館の上の高台に登り、東の空を
偲んで望郷の念にかられ、涙したと伝えられています。「京都に帰りた
い。」日が暮れ、暗くなっても、東の海の向こうを、見つめていました。こ
の戦いで、本宮さん、泉蔵坊も兵火にあい、全焼してしまいました。三好
の子女の涙したところを、京目と言って、今も地名が残っています。島の
三好系図に義兼の弟義茂のところで、京都宮方に寄り氏を大川と改め、
父病死の後 家臣介抱に讃州伊吹島に移すとあります。義茂の母は、足
利義輝の妹のやす姫で、義継の死後、詮索の厳しい京都から、四国に
渡り、伊吹島に落着きました。伊吹島のことばの中に京都の古いアクセ
ントが、残っていることと、関係ありそうです。
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むかし、浜で、男の子が遊んでいたら、海から、海坊主が、人間に化け
て、「相撲とろう。相撲とろう。」と話かけてきた。ちょうど、昼前で、腹が空
いていたので、男の子は「昼飯を食ってから、とろう。」と言って家に帰り、
母親に相撲のことを話すと、機転のきいた母親は、お仏壇のお供えのご
飯を食べさせた。そして、昼から、再び浜に行き、「相撲とろう。」と、海坊
主に言ったら、「仏さんの飯を食べて来ているので、もう相撲はとらん。」
と言って退散した。昼前、そのまま、相撲をとっていたら、命を海坊主にと
られてしまうところだった。どこへ行くにしても、仏様のお茶湯をいただい
て、行けば、難がのがれると言う。
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むかし、徳蔵という人が、夜船をだし、走っていたら、目一つの化け物
が、帆のところから降りてきて、「徳蔵、何が世の中で恐いか。」と尋ね
た。徳蔵いわく、「身過ぎ(生活していくこと)より、怖いものは、ござんせ
ん。」と答えた。そうすると、目一つの化け物は、「おお、そうか。」と言っ
て消えた。目一つの化け物が怖いと言ったら、化け物にやられてしまう
が、徳蔵は、言わずに、難をのがれた。
桑名屋徳蔵の話が伊吹島にもありました。北前船、イサバ船に乗り、瀬
戸内海を縦横に帆走していた頃の話です。
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むかし、雨がしょぼ、しょぼ降って、夜暗くなって伊吹島に向け、帆を張っ
て帰って来ていると、真正面から帆を張った船が、見え、だんだん近づい
て来て、こちらの船に衝突しそうになることが、ある。
こちらの船をかわそう(回避)ともせず、だんだん大きく、波を切って走っ
て来るので、乗組員の人はぶっかると思い、怖くなる。正面から、見える
だけで、横を並走するようなことは、なかった。正面衝突をさけるために、
操船するが、その船をさけると、船の姿は、消えて見えない。暗い海域で
の、ぞっとする話です。
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むかし、雨がしょぼしょぼ降り、うす気味悪い時、海中より「柄杓(ひしゃ
く)を貸せ、柄杓を貸せ。」と声が聞こえて来ることがある。その時は、柄
杓の底を抜いて海に投げると良い。底を抜かないで、ほうり投げると、そ
の柄杓で海の水を船に入れられ、水船になり、沈まされる。海難事故で
亡くなった人の海域を通る時など、「誰それよ。水を受取れよ。」と投げ水
をする。そうすることにより、安全な航海を見守ってくれるのである。
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「雨のしょぼしょぼ 降る晩に、豆狸がとっくり持って 酒買いに 」 島で歌
われていた子供の歌です。歌に登場するマメダは、人を化かしたり、いた
ずらしたりする愛嬌のあるタヌキです。伊吹島に、たくさんいたそうです。
その頃の話です。
むかし、洲鼻の谷で、浜から上がって来ていた女の人がいた。マメダヌ
キの子が、ツボに落ち、もがいていた。「おお、可哀想に、ツボに落ちてい
たら、死んでしまうゃのう。早よ上がれ、上がれ。」と木の枝を折って来
て、ツボの中につけて、マメの子を助けてやったそうです。それから、しば
らくして、その女の人が、洲鼻の浜から、肥ダル(浜の煎屋で出る鰯の煮
汁)を、昔の坂道で、あずりながら上げていたら、「おばさん、手伝ってあ
げる。」と言って、肥ダルをいのうて、上げてくれた。その女の人が坂道を
登ったら、タゴだけ道端に置いててくれたが、だあーれもいなかった。ツボ
に落ちていたマメの子の親が、人間に化けて肥ダルを上げてくれたそう
である。いつも、いたずらばかり、している。マメダヌキだが、子供を助け
てくれたお礼をしたそうな。
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むかしは、真浦の浜から、ゴロダの浜の側の赤崎の道を通って家に帰っ
ていたそうです。そのころの話です。
むかし、ゴロダの浜から、魚をたくさん釣って、藁縄に魚を通して、赤崎を
通って家に帰っていた。ちょうど、今は崩れてなくなってしまっている道だ
が、坂道を登り切ったところで、きれいな女の人と出会った。きれいな人
だなーと思いながら、家に帰ってきた。家の人に、藁縄を持ってどうした
のと、聞かれるまで、釣った魚のことは、忘れていた。藁縄を見ると、魚
はみななくなっていた。きれいな女の人に化けた猫の仕業であった。
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むかし、山子が、家に帰っていたが、日が暮れしまったので、大きな木
の下で野宿することになった。この人の妻は、出産間近かだった。「今晩
一夜のお宿を貸して下さい。」と言って、大きな木の下で寝ていた。夜半
になると、「おーい、おぎどの(木の神さん)。おーい、おぎどの。お産があ
るから行かんか。」とほうきの神様がおきどさんを呼びに来た。「わしは、
今晩、お客が一人泊っているので、行けん。おまえ一人行って来い。この
お産は、易い。大きな男の子が産まれる。この子はなんぼそれの年令に
なると、大坂の主に取られる相に生まれる。」山子は聞くとはなしに聞い
ていた。かわいそうに大坂の主に取られて死ぬのかと思った。夜が明け
帰宅を急いだ。帰る途中、村人より、妻が大きな男の子を産んだと知らさ
れた。昨夜の、おきどさんの話と良く似ているので、我が子に災難がない
よう、おきどさんの話は、嫁さんには話しせずに、しっかり始末して働い
て、主に取られる年令が来た時、大坂に供養に行った。餅を搗いて、皆
に差上げた。たくさん作るはたから、皆がもらいに来た。最後に主が来た
時は配る餅もなくなる程だった。「おい、おい。供養はすんだか。」「大勢
の人に来てもらい、無事終わりました。餅も出払いましたが、あなたに
は、鏡餅を差上げましょう。」 主とは知らず、男は鏡餅を渡した。「おお、こ
れで災難がのがわれたので、千年も、万年も長生きせよ。」と言ったそう
な。その男の子はたいそう長生きしたと言う。人間は、自分ではわからな
いが、いついつになったら、死ぬということが、分かっているのである。む
かしは、ほうきの神さんとおきどさんが来ないと産が出来ないとよく言って
いた。
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むかし、山子が日暮れて、野宿することになった。山道で小屋を探してい
ると、「おっさん、これ進上。これ進上。」と粽(ちまき)を若い衆から三つも
らった。小屋も見つかり、入口の所にもらった粽を掛けていた。粽と山子
は思っていたが、笹の中には、なめくじがつまっていた。
しょうぶ、しの、よもぎをつけて粽の通りであった。夜半、その小屋がギシ
ギシ、動いて、「おお、これはどうしたことか。」と男は思っていた。夜も明
け、山に行く村人の声が寝ている男に聞こえてきた。「おお!。おお!。」
と驚きの声であった。小屋の外へ出て見ると、大蛇が死に絶えていた。
その小屋を七巻半巻いていたという。小屋の周囲はなめくじの鼻たれが
たくさんあった。若い衆三人がくれた粽で難を逃れた。一人はところの氏
神さん、一人は我家の三宝荒神さん、一人は自分の守り本尊であった。
伊吹島では、端午の節句には、粽をつくります。素朴な、粽の原形に近く
注目されています。
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伊吹島での力持ちの話をする時、天神さんの鳥居を浜から担いできた新
五郎の話が、よく出ます。
むかし、天神さんの改築で、大きな豊島石の鳥居を奉納することになり
ました。村中総出で、浜から上げていました。新五郎という若者は、折り
悪く、『おこり』(今で言うマラリヤ)で寝ていました。「新五郎や、村中の
者が、鳥居を上げるのに浜に出ているという。お前も体の調子が良かっ
たらお粥でも食って手伝いにいけや。」と母親が新五郎を起こしたそうな。
「おっ母あ、俺あもう一本かついで、揚げて来たから心配いらん。」と寝間
の中から答えたと言う。母親は疑心暗鬼で天神さんまで見に行ってみる
と新五郎が一人でかついで揚げたという鳥居の長石を前にして村総代、
有志をはじめ、村中の若い衆が舌を巻いて驚きの声をあげていたといい
ます。その石は、普通の若者が、十人集まって担ぎ揚げても一生懸命だ
という長石です。しかもおこりを患っている病人の身でよくもまあ担ぎあげ
たものだ。その大力無双に驚嘆し、島中の人気者になりました。丸亀の
殿さんから、仕官の誘いが、何回もあったが、宮仕えは性に合わんと断
り、手ごろのいさば船をこしらえて瀬戸内海を廻って煮干しいわしの販売
から、鯛、鰆等の出買いを始めました。
新五郎さん達の運んだ鳥居は、今は礎石の所のみ残っています。
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力自慢の新五郎と宗五郎が二人、連れだって船への帰り道、とある松
並木の街道にさしかかりました。先方から歩いて来る一人の小男にぶっ
かりました。身の丈は、高下駄を履いてはいるものの、普通の子供の大
きさである。おまけに、身に余る長い太刀を差している。侍の出来損ない
の様な珍妙な格好である。大男の二人には、特に小さく見えたものでしょ
う。
「こんな奴は、上から押さえたら、一ひねりで潰れてしまうなあ。」と、新五
郎は思いながら、すれ違った。以心伝心というのか、その侮りの気持ち
が、この男に通じたものか、あっと言う間に、飛び上がったと思ったら街道
の松の木の太枝が、バサッと二人の頭の上から落ちてきた。すれ違いざ
まの抜き打ちで、長い刀を抜き、スゥーと収めては、何食わぬ顔でスタス
タと高下駄の音を残して通り過ぎたといいます。「人は、自分の力にうぬ
ぼれ、決して、慢心しては、ならない。人の身なりを見て侮っては、ならな
い。広い世の中には、どんな人間がいるかわからない、心して世渡りをす
るように。」 新五郎の遺言であったといいます。
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むかし、嘉左衛門の太郎が、夏のある日、浅草の観音さんにお参りに行
ったところ、大勢のお侍さんが、本堂の大屋根に登って、瓦の苔をとって
いた。将軍さんが、参詣に来るので、屋根掃除をしていた。「お江戸と
は、暇な人が多いものだ。あの大屋根の苔を一枚一枚掃除していたら、
何日もかかるだろう。わしだったら、二十人の人数で一ときもあれば、済
ましてしまうのに。」とつぶやいた。監督していたお侍さんが、「聞き捨て
ならぬ。」と詰所へ連れて行き、「どうしたら、あの大屋根の掃除が、早く
出来るか。」と尋ねた。太郎いわく「浅草海苔を水に溶いて大屋根のてっ
ぺんから、大ひしゃくで流すとよいでしょう。」と答えた。太郎の言う通りに
してみると焼付くような炎天下、流した海苔は、屋根を流れていくうちに、
苔を包んで固まってしまい、後は、掃くだけ、一とき、二時間で大屋根は
見違えるようになりました。これが縁で宇都宮松平家に仕官しました。名
も三好 源兵衛と名乗り、荒地を開墾し藩の財政を豊かにしました。島原
にお国替えになった時も国替えの費用を調達しました。
出世が早いので、同僚の中傷に遭い、伊吹島に帰ってきました。島に帰
ってからも、海運、漁業にいろいろ貢献してます。伊吹島では、才知がき
いて、頓智が良い人、根がしっかりしていてうすとぼけている人のことを
ゲンベーと言う。源兵衛さんのことを敬愛しての方言です。源兵衛さんの
墓はマツバにあります。
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伊吹島の北西の高台(地名 宮目)に大きな石があります。昔 道を拡張
するために大石が邪魔だということで、石工が大石にノミで穴をあけ石を
割ろうとしたが、どうしても石を割ることが出来ず、怪我人も出たのであき
らめた石です。石にノミの跡が残っています。割れば、血の出る宮目の大
石と呼ばれています。そのままの状態で石は残っています。今も正月に
は七五三縄を飾ってお祀りしています。三好館跡より少し登った所にあり
ます。見晴らしの良い所です。
伊吹島には名石といわれ、祟りがあるとか、性のあるという石が7つある
と昔から伝えられています。1.割岩、2.宮目の大石、3.畳石、4.滝
の宮 天狗の止まり石、5.天神社 登元石、6.天満石、7.瓶石(黒崎に
在る)
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伊吹島に伝わる、伝説、昔話を集めようと思い、テープレコーダーで聞取
りをしたのが昭和五十年からでした。柳田国男 『遠野物語』 武田 明『佐
柳島・志々島昔話集』を片手にこう言う話はありますか。と尋ねながらの
聞取りでした。完全な形で残っている話はありませんでした。断片的な話
しか集まりませんでした。もう少し早く始めていればと後から思う次第で
す。断片的な話の中にも先人達の暮らしぶりがわかります。海を生活の
場として来た島の暮らしの中から生まれた話には、教えられる事がたくさ
んあります。核家族化して、昔話を聞く機会も少なくなり、話者もいなくな
り寂しい限りです。拙い文章ですが、読んでみて下さい。そして、こんな
話がまだ、あるよと知っている人は教えて下さい。島に帰省して父親に書
残してもらった話が半分、私の聞取りが半分父子の合作です。もう少し話
がありますが、また、機会をみつけて発表したいと思います。(三好 兼
光)
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